McQueen

恋をするように服をつくり命まで捧げた、ドラマより劇的な人生
レディー・ガガやビョークが語るマックイーン
セレブに愛されたアレキサンダー・マックイーン

コメント

ダイアモンドよりも、賞よりも、マックイーンとの短い友情の思い出以上に、私にとって大切なものはない。

レディー・ガガ

※レディー・ガガは「Fashion Of His Love」をマックイーンに捧げている

あなたが与えてくれたすべてのインスピレーションに心から感謝している。

ビョーク

複雑で才能あふれる若者…彼は私たちに見せてくれた。すべては可能であることを、夢は叶うということを。

アナ・ウィンター

独創性、気高さ、奇抜さ、感動的で魅惑的で、驚きのあるものは全てマックイーンだった。彼のような人は他にいない。

サラ・ジェシカ・パーカー

彼は大胆不敵で、オリジナリティに溢れ、人々をワクワクさせる存在だった。ファッションの革命児だった。

ジョン・ガリアーノ

イントロダクション

〈ファッション界の反逆児〉と呼ばれながらも、
デヴィッド・ボウイやビョーク、レディー・ガガから
キャサリン妃にまで愛されたアレキサンダー・マックイーン

ロンドンの労働者階級の街イーストエンドに生まれ育ち、日々の食費にも困っていた青年が、失業保険を資金に23歳にしてファッションデザイナーとしてデビュー。次々と開いたセンセーショナルなショーは、大絶賛とバッシングの真っ二つに分かれ、彼の名前〈アレキサンダー・マックイーン〉は、たちまち世に広まった。そして1996年、弱冠27歳で、エレガントで名高いパリのグランメゾン〈ジバンシィ〉のデザイナーに抜擢されて世間を驚かせる。一方で、自身のブランドのショーはますます過激になり、〈モードの反逆児〉と名付けられるが名声は高まるばかり。34歳だった2003年には英国女王から大英帝国勲章(CBE)を授与されるまで上りつめる。ところが、富と名声の絶頂期にいた40歳で突然、自ら命を絶ってしまう。いったい彼はどんな人物で、いかにして現代のおとぎ話のような成功を果たし、なぜ燃え尽きてしまったのか?

音楽は、現代音楽と映画音楽において唯一無二の世界観を築き上げ、『ことの終わり』『ピアノ・レッスン』でゴールデン・グローブ賞にノミネートされたマイケル・ナイマン。マックイーン本人と親交があり、いつも彼にインスピレーションを与えていたという楽曲の数々が、壮大な鎮魂歌のように心を揺さぶる。 これまで所在不明だったインタビュー映像、家族の全面協力のもと提供されたプライベート映像、姉と甥、友人、関係者など最も近しかった人々の証言が、天真爛漫な野心で叶えた夢がプレッシャーという悪夢へと変わっていく様を露わにし、人間マックイーンに共感せずにはいられない。一方で、自らの心の奥へと分け入り、そこに潜むグロテスクな闇を、「世界にたった一つの美」へと昇華させる、命を削るような壮絶な創作現場に胸を打たれ、舞台や映画、アートにテクノロジーまでをブレンドした、魔法のようなショーのハイライトに魂を奪われる。天職と出会った幸福と、命まで捧げたその生き様に触れた時、彼の人生そのものが人を感動させるアートだと知る、どんなドラマよりも劇的でエモーショナルなドキュメンタリーが誕生した。

ロンドンの労働者階級出身の青年は、
いかにして無一文からトップデザイナーへと駆け上がったのか?
どんなドラマより劇的な人生が、感情を揺さぶる――

ストーリー

テープ1 獲物を狙う 切り裂きジャック

──心の奥深い闇から恐ろしいものを引き出し、ランウェイに乗せるんだ

母親のジョイスが、リー・アレキサンダー・マックイーンの原点を明かす。学校へも行かず仕事もなかった16歳の時、仕立て職人が人手不足だと聞いて老舗テーラーで働き始め、服作りの才能に目覚めたのだ。やがてマックイーンは単身イタリアに乗り込み、ロメオ・ジリのアシスタントを務めるのだが、ジリが生意気だったマックイーンのエピソードを披露する。

帰国後、名門セント・マーチンズ美術大学に入学、卒業コレクションで人生が変わる。「ヴォーグ」の編集者で20世紀ファッション史の重要人物だったイザベラ・ブロウが、「モダンでクラシカル、美とバイオレンス。今まで見た中で一番美しい」とマックイーンの作品に惚れ込み、夫のデトマー曰く「彼をトップにすると決意」したのだった。

テープ2 ハイランド・レイプ

──現実に耳をふさぎ、世界は楽しいと思う人に現実を伝えたい

マックイーンがどうやってデビューしたかを明かすのは、エージェントのアリス・スミスだ。当時のスタッフはノーギャラで働いていたのだが、ヘアメイクのミラ・チャイ・ハイドは「彼の魅力ゆえよ」と微笑む。さらに、まだ太っていた若い頃のマックイーンの映像が流れ、「生地もすべて失業手当で買った」と無邪気に笑う。

 

マックイーンのデビュー・ショーの映像が流れ、「退席する人もいた」とアリスが打ち明けるが、もっと騒ぎになったショーが「ハイランド・レイプ」だ。バッシングもされたが、翌日の各紙がトップで扱い、マックイーンは時の人となる。普段は朗らかな彼のどこにそんな闇があったのか? 甥のゲーリーが、一族のある秘密を打ち明ける。

テープ3 そこはジャングルだ

──僕はやるべきことをやる。名声のためじゃない

ジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに抜擢されたマックイーンは、礼儀正しいパリの工房に、ロンドンの反骨精神を持ちこんだ。デザイナー助手のセバスチャン・ポンスが、エキサイティングだった日々を振り返る。だが、初めてのショーは酷評され、当時の恋人だったマレー・アーサーは、その夜の荒れたマックイーンについて苦々しく語る。また、アーサーとデトマーの口から、マックイーンの裏切りが明かされる。「イザベラに見出された」と言われることに嫌気がさした彼が、彼女をジバンシィとの契約から外したのだ。

テープ4 ヴォス

──僕の私生活と仕事はすごく密着してる。ショーがあるから感情を表現できる

自分のブランドとジバンシィを行き来したこの頃が、マックイーンにとって最悪な時期だった。年10回以上のコレクションのプレッシャーに潰されかけ、ドラッグに手を出してしまったのだ。クリエイションは壮絶なまでに磨き上げられたが、人間関係は破綻する。そんな中で生まれたショーが、ウィトキンのグロテスクな写真の再現でフィナーレを飾る「ヴォス」だ。

 

さらに高い名声を獲得したマックイーンは、ディレクターのトム・フォードから誘われてグッチと契約、ジバンシィを去る。ロンドンに戻り、家族との絆を確かめたマックイーンは、「うまくいかず不安な時期があった。でも抜け出せた。これが僕の人生だ。天職なんだ」と呟く。

テープ5 プラトンのアトランティス島

だが、心の平安は束の間だった。マックイーンには、さらなる過酷な宿命が待ち受けていた──。

キャラクター

ミラ・チャイ・ハイド

ミラ・チャイ・ハイド

ヘアメイク・スタイリスト

(ブランド・スタッフ)

セバスチャン・ポンス

セバスチャン・ポンス

デザイナー助手

(ブランド・スタッフ)

ケイティ・イングランド

ケイティ・イングランド

スタイリスト

(ブランド・スタッフ)

ゲーリー

マックイーンの甥 / テキスタイル・デザイナー

(ブランド・スタッフ)

ボビー・ヒルソン

セント・マーチンズ美術大学MAコース創始者

(入学を勧める)

トム・フォード

当時グッチ・グループ ディレクター

(グループへ誘う)

リー・アレキサンダー・マックイーン

リー・アレキサンダー・マックイーン

ブランド創業デザイナー

1990年代から2010年まで活躍した、イギリスのファッションデザイナー。1992年に自身の名を冠したブランドを立ち上げ、1993年にロンドン・コレクションでデビュー。1996年にジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに就任、ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザイヤーを受賞。1997年、2001年、2003年にも同賞に輝く。トム・フォードに誘われ、2000年にグッチ・グループの傘下に入り、LVMHグループ傘下のジバンシィを離れる。舞台や映画を思わせるドラマティックなコレクションでは、攻撃的かつ刺激的なデザインを特徴とするが、一流デザイナーの中でも基本的なテーラリングの技術が非常に高いことで知られている。また、エッジのきいたセンスとエレガントなラインが絶妙なバランスで融合し、オンリーワンを求めるアーティストやミュージシャンから愛されていた。2010年2月2日、最愛の母を亡くす。それからわずか1週間後、40歳の若さで自ら命を絶つ。母親の葬儀の前日だった。

イザベラ・ブロウ

イザベラ・ブロウ

支援者

1958年イギリス生まれ。1979年にアメリカへ渡り、1981年に「ヴォーグ」のファッション・ディレクターだったアナ・ウィンターと出会い、アシスタントに雇われる。撮影を通して、アンディ・ウォーホルやバスキアとも友人となる。1986年にイギリスに戻り、「タトラー」のエディターを経て、1993年からUK版「ヴォーグ」に在籍、多くのファッションデザイナーを発掘したことで知られる。2007年、ガンの闘病中に自ら命を絶つ。

フィリップ・トレーシー

フィリップ・トレーシー

友人でありコレクションにも参加

1967年生まれ。1989年、当時「タトラー」のスタイリストだったイザベラ・ブロウに見出される。1991年、カール・ラガーフェルドに依頼され、シャネルのために帽子をデザイン、その後長い関係が続く。アレキサンダー・マックイーン、ジバンシィのショーなど多くのオート・クチュールと協働し、レディー・ガガ、マドンナ、サラ・ジェシカ・パーカーや、英国ロイヤルファミリーを顧客にもつ。2007年に大英帝国勲章(OBE)を授与されている。

サラ・バートン

サラ・バートン

ブランド・スタッフ

1974年生まれ。セント・マーチンズ美大在学中に、アレキサンダー・マックイーンのインターンとなり、1997年に卒業してからはフルタイムで働き、2000年、ウィメンズ・ウェアのヘッドデザイナーとなる。2010年からマックイーンの後を継いでクリエイティブ・ディレクターに就任。